2010年09月19日
日清食品
インスタントラーメンの先駆けとなったのは,1952年末に都一(みやこいち)製乏が発売した,めんを手で枠に入れ長方形に成形,波状にした中華めんである。
58年には大和通商が現在のインスタントラーメンの始まりともいえる,めんを油で揚げた〈鶏糸乏〉(味付け油揚げめん)を東京の百貨店の店頭で販売した。
同年8月安藤百福が日清食品を設立,鶏糸乏と同様のものをチキンラーメンの名で,袋入り1袋(85g入り)35円で発売し,これが爆発的な売行きを示し,以降各社の新規参入がつづいた。
チキンラーメンは,味付けした油で揚げた乾めんで,丼などの容器に入れ湯をかけてもどすと3分ほどで食べられる,というものであった。
インスタントラーメンの売上げは以降急増し,メーカー数も64年には300社近くになった。
この間,1962年7月には,その後主流となる,いわゆる〈スープ別添〉方式のものが明星食品から発売された。
71年9月にはカップ容器入り即席めん(カップラーメン)が,日清食品により〈カップヌードル〉の名で発売された。
カップラーメンは,その手軽さがうけ(それまでのもの,いわゆる〈袋もの〉は発売当初とは違って,なべで煮たきする必要のあるものが主流となっていた),他社も続々参入,急速に売上げを伸ばし,販売額においては75年ごろから袋ものを上回っている。
インスタントラーメンの生産量は1958年度の1300万食が62年度に10億食にもなり,翌63年度20億食,66年度30億食と急増,インスタント食品のみならず,インスタント時代のリード役だった。
その後は伸びが鈍化し,8年かかって74年度に40億食台に乗せたものの停滞傾向は一段と強まり,83年度は43億食であった。
ただし販売額は,袋ものに比べ値段の高いカップものの比率のアップで1973年以降急増した。
この間,和風めんや焼きそばも登場するなど種類も増えた。
なお,これらのインスタントに食することのできるめん類を総称して,JAS 規格で〈即席めん類〉という。
インスタントラーメンはアメリカや東南アジアなどに輸出されると人気を呼び,現在では現地メーカー品も出現して,販売合戦をくり広げている。
58年には大和通商が現在のインスタントラーメンの始まりともいえる,めんを油で揚げた〈鶏糸乏〉(味付け油揚げめん)を東京の百貨店の店頭で販売した。
同年8月安藤百福が日清食品を設立,鶏糸乏と同様のものをチキンラーメンの名で,袋入り1袋(85g入り)35円で発売し,これが爆発的な売行きを示し,以降各社の新規参入がつづいた。
チキンラーメンは,味付けした油で揚げた乾めんで,丼などの容器に入れ湯をかけてもどすと3分ほどで食べられる,というものであった。
インスタントラーメンの売上げは以降急増し,メーカー数も64年には300社近くになった。
この間,1962年7月には,その後主流となる,いわゆる〈スープ別添〉方式のものが明星食品から発売された。
71年9月にはカップ容器入り即席めん(カップラーメン)が,日清食品により〈カップヌードル〉の名で発売された。
カップラーメンは,その手軽さがうけ(それまでのもの,いわゆる〈袋もの〉は発売当初とは違って,なべで煮たきする必要のあるものが主流となっていた),他社も続々参入,急速に売上げを伸ばし,販売額においては75年ごろから袋ものを上回っている。
インスタントラーメンの生産量は1958年度の1300万食が62年度に10億食にもなり,翌63年度20億食,66年度30億食と急増,インスタント食品のみならず,インスタント時代のリード役だった。
その後は伸びが鈍化し,8年かかって74年度に40億食台に乗せたものの停滞傾向は一段と強まり,83年度は43億食であった。
ただし販売額は,袋ものに比べ値段の高いカップものの比率のアップで1973年以降急増した。
この間,和風めんや焼きそばも登場するなど種類も増えた。
なお,これらのインスタントに食することのできるめん類を総称して,JAS 規格で〈即席めん類〉という。
インスタントラーメンはアメリカや東南アジアなどに輸出されると人気を呼び,現在では現地メーカー品も出現して,販売合戦をくり広げている。
Posted by 犬塚 ツメ at 00:39